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海外での和食の今昔【この頃思うこと-46-】 [この頃思うこと]

海外での和食の今昔【この頃思うこと-46-】

  和食が世界文化遺産に選ばれ、世界中に和食店が出現して(中には日本人経営でない店もあると言うが)現地の人を主な顧客に寿司や刺身が賞味されるような日が来るとは、60年弱前の米国留学の頃には全く想像もできなかったことだ。当時は冷凍技術も未成熟で海から遠い米大陸内部での魚は臭いと不人気だった。当時招待された多くの家庭料理でも魚料理はあまり口にしたことはなかったように思う。進駐軍として日本に滞在した人でも、天ぷらやすき焼きを賞味したと言う人はいたが寿司や刺身は食べず嫌いが多く賛美者は少なかった。したがって当時の海外の和食店は日本人目当てが主で、戦後の外貨制限下の日本からのNYとかLAなどの大都市に限られて単身赴任を強いられた数少ない大会社の駐在員を主顧客に数軒がある程度で、100万都市の Clevelannd には中国料理店が数軒あるのみ(留学生には少々高価だったが)和食の店など思いもよらなかった。中国料理は、当時から世界中に住んでいた華僑相手でもあったろうが、確かにその多種多様な高カロリーの美味さはフランス料理と共に世界的に好まれた。それに比し生の食材を生かし奥行きはあるが地味で蛋白な和食は、当時の海外では料理としての魅力に欠けていたのだろう。
 
 魚と言えば、仲の良い大学院の友人でさえ「君たち日本人は卵や魚を「生」で食べるんだって」との "生(row)" に力点のある若干侮蔑的な質問だったので、「そうだよ、生(なま)はまだ米国のように各家庭に冷蔵庫はないので、採れたての "新鮮(fresh)" な間だけ味わえる贅沢だよ」と答えた。事実、日本でも当時は刺身や卵は贅沢品で日常の食卓とは無縁だった。さらには「日本では水槽で魚を飼って半身を刺身で食べてそこが再生するとまた食べるそうだが」と冗談交じりとは言え半ばまじめに問いかける者さえいたほどだ。日本の魚屋に類する店魚専門店などはなくスーパーの一隅で魚が置いてある程度だった。その頃はカトリックの家ではキリスト受難の金曜日に肉の代わりに魚を食べると言われていた。

 
 その人達がいまや「生の魚なんて」と言っていた刺身に醤油をつけて堪能するようになるとは思ってもみなかった。日本食材も留学当時の市内には米国統治領の沖縄の人の店が一軒だけありそこでお米や醤油とか、松茸や竹の子などの缶詰を月に一回ほど買いに出かけるのが精一杯で、スーパーでは "soy sauce" と称する中国風の醤油があり一度買ったが醤油とは似て非なものだった。いまは重宝される調味料としての日本の醤油も慣れない人にはあの独特の臭いが気になったようだ。
 
 親切で食事に招いてくれる家庭に、たまには恩返ししたいと土曜の昼食を和食でサーブしようとすき焼きを何回か供したが、ナイフ不要の箸で野菜と一緒に食べられ醤油味と砂糖とがうまく合って臭みも感じないらしくどこでも毎回好評だった。料理の手間は野菜を適当な大きさに揃える程度で簡単なようだが、当時の肉屋(Butcher)では塊でしか売らないのでそれをすき焼き用に薄くスライスするのが大変だった思い出がある。
 
 ともかく、あの時代に見向きもされなかった和食が欧米のみならず世界各国でもてはやされるようになったことは、食文化の背景にある平和な、和を重んじる日本文化自体が一定の評価をえ始めていることと共に留学当時のことを思い出して嬉しく思っている。
 


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