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「蛙」と「システム思考とコンピュータ」のはなし【この頃思うこと-41-】 [この頃思うこと]



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「蛙」と「システム思考とコンピュータ」のはなし【この頃思うこと-41-】

   蛙を湯に入れると飛び出るが、水から徐温すると気付かず茹だると言う。「はどっぷり浸った環境変化には鈍感だ」との例えだ。新刊訳本ドネラ・メドウズ著「世界はシステムで動く」を読み「システム思考とコンピュータ」もその好例だと改めて気付かされ、それでいまの茹だった状況から、まだ水だった頃までを順次記憶から取り出す気になった。

  まず「コンピュータ(digital)」だがいまは机上のパソコンでもメモリがG(10)9BT(10)12Bあり文書や画像処理で不自由はないし、中小企業でもその使用は前提だ。Super Computerに到っては、メートル単位で大は宇宙(10)、極小はナノさらに素粒子(10)-までの気象・諸科学・経済予測など数値解析に不可欠だ。しかし55年前はそのdigital computerが日本には皆無だった。それを初めて見たのは1958年に留学先の米国Case工大での巨大な真空管トンネルのUNIVACⅡとより小型のIBM650だった。早速2進法や機械語でのプログラミングを学んだ。修士論文では、加熱炉の数式モデルを1K(10)3 語ドラムメモリのIBM650に機械語で苦心惨憺組み込んだ。最適解はIBM650は能力不足でanalog computerで求めそれをIBM650に入力しシミュレートした。その同じ'58年に米国で大型計算機IBM7070(コアメモリ10K語)が発表された極めて高価で月額借り賃は日本の大企業での300人給料分にも相当した。'61年に日本で初めて八幡製鐵がそれを設置し、給与・生産・経理などバッチ処理システムの構築運用で数百人のプログラマやSEを育成した。'64年には依然高価だったがオンライン処理も可能なIBM360が出現した。'60年代後半は日本経済の高度成長期で、鉄鋼業では欧州開発の最新技術を実用化した臨海製鐵所が続々と出現し、その一つ君津製鐵所では設備と管理のシステムを並行企画し世界初のオンライン生産管理を'68年に実現した。当時の記憶容量が最大256kBと極めて小さくその制限内でのプログラミングに数百人が日夜呻吟した。'75年以降には続々と新機種が出現し急速な値下がりでそれまでの大企業のみならず中小企業へも急速に普及し始めた。'80年後半からのパソコンの能力アップは'90年以降のinternet普及と共に日常生活の一部となり今日に到っている。

  次に「システム思考」だが、1959年にCase工大が「世界の大学で初めてシステム・センタを設置しプロジェクト・チーム編成Interdisciplinary(学際的)に対処する」と当時の米国でも目新しい語句で喧伝したほどにそれは斬新だった。その思考法は'60年代以降のコンピュータ使用システム開發と共に日本でも進展・浸透し始めた。例えば初期のコンピュータの能力不足をシステム面でカバーすべく、君津製鐵所では、八幡・戸畑における先人達の工夫の結晶である「製鐵所の運営管理方式」を基盤に、後述のマン・マシンシステムの階層構造で、その下層は工場・工程別のコンピュータ分担などの工夫がなされた。その思想と言葉なしではいまや社会が存立しない状況と言えよう。

  冒頭の新訳書の「システム理論を複数の弁とタンク結合の制御図を用い、陥りやすい落し穴なども極めて平易な解説」を読み、60年近く前に学んだ制御理論を思い出して、それ以降の急激な環境変化の中で茹だった「蛙」の身の例え話へとつながった次第だ。

  同時に著名なローマクラブの「成長の限界」主執筆者の彼女が、権威ある大学教授の職を捨てて一科学ジャーナリストに転身した理由を「howよりwhatが重要と考えたから」としている点で、昔私が無機的な設備対象のプロセス・コンピュータ分野からビジネス・コンピュータの中でもとくにその管理 loop 内で人の暖かみが感じられる有機的な生産経営管理分野へ移った理由を、これまで自身の数学的能力の限界や、昔のORの講義での「精緻な数式モデルでも人の優れたひらめきは組み込めない」の残響だと思っていたのに加え、当時のコンピュータのメモリ不足をカバーするのに「マン・マシンシステム」として現場の人達を巻き込んだシステム構築に、知らぬうちにのめり込んだせいもあったのだと、この読書で改めて気付かされた。

  




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かまたに

先生ご無沙汰しております。
マンマシンシステムについてなるほどとおもいました。
しかしながら今も現状も現場の作業がたっぷりあります。
違うところは、コンピュータのメモリは潤沢、人は変わらずということでしょうか。
そういった意味ではコンピュータは十分にがんばっているとなり、機能を実現できない部分は人間のせいであり、人間でなんとかしろということで、結局作り出す人がそのままなので、現場でなんとかすることは残ってしまうということです。
今はマンが先ではなく、マシンマンシステムになってます。
by かまたに (2015-09-20 22:35) 

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