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故郷とふるさと言葉 【言葉のはなし-5-】 [言葉のはなし]

故郷とふるさと言葉 【言葉のはなし-5-】
  私は10歳から13歳までを関西で、その期間を除く幼時から高校までを九州の佐世保で過ごした。したがって生まれ故郷は九州だが、ふるさと言葉には九州弁に加え関西弁も入る。それらは使う機会がないので普段は出てこない。でも、話し相手の顔を思い浮かべたり実際に会ったりすると、当然のようにその当時の言葉が出てくる。
  この4月には、佐世保で中学時代の同級会があるので、それに出ようと友人に電話をすると自然に「久しぶりバッテン元気にシトルトネ。」となり「ウン、何とか過ゴシヨルバイ」といった返事が帰って、途端にお互いが気持ちの上ではもう10歳代に戻っている。その頃の友人に東京でのクラス会で会うと、最初少しの間は標準語でしゃべるが、そのうちに他人行儀でもどかしくなり、気が付けば佐世保弁丸出しで気を許しあう感じとなる。  相手が関西の友人であれば、すぐに「久しぶりの電話ヤケド、この頃はドナイシトンネン」「まあ、元気ヤデ」となる。単語でも方言でないと意味は通じるが感じが出ないこともある。風呂や炬燵など肌を通しての感じは、関東でいう「暖かい」ではなく「ぬくい(温い)」がぴったりとくるなど好例だ。
  26歳から2年間生活で使うことになった英語もそれに似ていて、帰国して日常は使わくなっていても、アメリカに滞在すると二日目くらいから夢に出てくる皆が英語でしゃべるようになる。でも、留学直後のオリエンテーションでの日本人4人の間では、早く英語による思考となるように日本語でなく不自由ながら英語のみを使おうと約束した。しかし、3週間も経つと皆が「腹ふくるる」思いとなり、誰いうとなく「今日だけは日本語で話そう」となった。その途端、皆が堰を切ったように一斉に日本語でいいたいことを存分に吐き出し始めたのは壮観であり異様だった。後で「やっとせいせいした」と皆が笑顔になったも印象深く思い出される。英会話とは縁遠い今でも、英米人と会えば自然と英語がでてくるが日本語ほど細かくは感情を伝えられないのは、標準語とふるさとに若干類似している。
  でも、その英語でさえも懐かしくなることがある。イタリアでは3年近く住んだが仕事は英語を使い、イタリア語は3か月弱の会話クラスでの学習と英語が通じない人との会話で済ませたので、必要最小限の意思疎通はできるがヒアリングでは不自由をしていた。そのような状況でイギリスに出張して、英語でテレビを見、会話がかなり自由にできた時は、あたかもふるさと言葉を聞いたような安心感が湧き出た。ドイツ語は読んだ本のページ数ではイタリア語のそれよりずっと多いのだが会話では使ったことがない。その点イタリア語は不自由ながらそれを生活で使ったので、経験として覚えた言葉は長い間全く使ってなくてもその場になると自然に口から出てくるから不思議だ。これも比較の問題でドイツ語より遙かにふるさと言葉であるが、自由さにおいては日本語は勿論英語には及ばない。
  それで思い出されるのは20年ほど前の大学での授業のことだ。学生が「センセの授業は関東弁ヤヨッテニオモロウナイ。関西弁ならエエノニ」という。そこで茶目っ気を出して「ホナラ関西弁で話ソカ」と数分間関西弁で授業を続け、今度は九州弁で、次は英語弁でといって数分ずつ、その後は少々怪しいイタリア弁で少し続けた。学生は日本語以外のが外国語も方言といったことに少し驚いたようだ。しかし、その日本語の標準語と方言、それに会話を体験した外国語のいずれもが、使いこなせる自由度や感情を伝える度合いは相当に異なるが、私の頭の中では日本語の方言のように身体の経験として記憶されていて、それが望まれる環境になると自然と切り替わって話せるのだということにその時に初めて気付いた。
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