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日系一世の人たちと望郷の念 【フルブライト留学関連-10-】 [フルブライト留学関連]

日系一世の人たちと望郷の念 【フルブライト留学関連-10-】
  留学二年目(1960年)の春に、留学生の世話団体の人から「クリーブランド近郊在住の一世の人たちが、毎年ワシントンまでバスを仕立てて桜見に行っている。最初のうちはバス2台で満員だったが毎年亡くなる人が出て前年は一台でになり、それでも空席ができた。そこで前年は系二世の何人かを同乗さたが、彼らはメンタルに全くの米人で面白くなく、そこで日本からの留学生を思いついたという話があり受けてもらえないか」との話があった。私の修士論文の目処も立ち、留学中の家内とその友人と3人で参加した。
  戦前に渡米した日系一世の人たちは私の親達と同年代か少し年長の七・八十歳代で、近郊とはいえ100km四方ほどに散住し、日頃はできない交友を暖める場でもあったようだ。また、必要に迫られて話す幾分不自由な英語でなく、母国語である日本語で気ままに気兼ねなく昔話などを話せるのは日頃のストレス解消に役立っているようで、往路はお互い近況報告や昔の思い出話などで賑やかだった。私達も適宜に空いた席を回ってはそれらの話を聞いた。多くに共通した話は,「戦前に苦労して経済的に見通しが立ち子どもも育ってやっと一息つける状態になったときに思いがけない戦争が始まった。そして、敵国人として強制的に隔離キャンプ生活をさせられた。戦後そこから解放されて新生活が始まってまた苦労をし、いまはどうやらリタイアできた。子どもの二世達はアメリカの教育を受け、日本語は余り話さなせないし考え方も違って嬉しいような寂しい気がする」ということであった。私達に苦労話をすることで気持ちが少し明るくなる様子がみえ、聞いてはいたが強制キャンプ生活などを生々しく伺い知ることができた。
  このようにして夕方遅くワシントンへ着きホテルで一泊した。翌朝は早くからポトマック河畔の日本から送られたという満開の桜の花をバスの車窓から眺めながら、皆がそれぞれの故郷での桜見を思い出しては日本酒を飲み、各自持参の花見弁当を食べておられた様子は忘れられないひとときであった。それから帰路の12時間ほどのバスの中は、皆が花見の満足感と花見酒で良い気分になり、最初のうちは故郷の民謡などで楽しんでいられたが、一巡すると「若い留学生さんたち、何か歌って」ということになった。
  そこで、浦島太郎、猿蟹合戦、桃太郎、舌切り雀、等々と思い出す限りを歌うと、皆さんが「久しぶりにこんな懐かしい歌を聴いた」と涙ぐんで一緒に歌い始められた。それが一通り済んでもまだ物足りなそうなので、私達が子どもの戦前・戦中のに歌った「鳩ぽっぽ」「お手々つないで」などの小学唱歌や童謡を、次から次からへと一生懸命に思い出すと、一世のおじいさん、おばあさん達も「こんな歌は子どもの時歌ったきりで、四・五十年の間一回も歌っていなかったのに、不思議なことに、歌詞も節も次々思い出せたのには驚いた。同時に、忘れていた子どもの頃のことが、まわりの風景と共に思い出されて本当に懐かしく嬉しい」と帰路の間中、声も枯れよばかり一緒に歌い続けられた。私達も記憶の中から絞り出しては一緒に歌いに歌った。その時の一世のおじいさん、おばあさんのすっかり子どもに返ったような嬉しそうな顔に、ご一緒して良かったとつくづく思った。
  私自身が同じ年齢に達したいま、長い間、故郷から遠く離れ「苦労をして身を立て自分の故郷に一度は戻りたい」と思いながら戦争でその多くを失い、いまと違って簡単に故郷にも帰ることできなく、あの地でなくなった一世の人たちの望郷の念はいかばかりだったかと、当時にまして胸に迫ってくる
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